国際学概論

「北京と四日市 秋空を仰いで」を読んで


 越境汚染とは大気汚染の原因物質が気流に乗って国境を越えて流れてしまうことをいう。越境汚染は酸性雨などの問題ともなる物質が流れてくるのが典型的であり、東アジア、ヨーロッパ、北米などで起こっている。また、近頃騒がれているpm2.5なども含め人体に影響が出るものが多い。そのためにも早急な対応が必要である。これらの原因物質は気流に乗って他国へ流れていくが、気流自体を私たちが変えることは出来ないのでその物質が出ないような対策を考えないといけない。これは、越境汚染の加害国のみが対策を考えるだけでなく、被害国も案を出し合ってお互いの国が納得したものにする必要があると思う。また越境汚染は加害国と被害国の二国間であるが、現実としていろんな地域で起こっているため、重大な環境問題として世界全体で考えていく必要があると思う。

 


 越境汚染という言葉は一見、汚染源となる国が他国を侵しているかのような印象を与えてしまうのではないだろうか。しかし、越境汚染の問題は汚染源と言われる国のみに責任があるものではないと考える。酸性雨や大気汚染など、環境汚染は世界各国においてこれまでも繰り返し問題となってきた。その原因は様々であり、経済発展や工業化、エネルギー問題など、その国のその時の情勢や国際関係が影響するものであろう。従って、原因を責め、責任を追及するばかりではなく、その国の背景を知ること、そして今後の対策について各国、それも越境汚染に直接関係している国ばかりでなく、それこそ世界各国が問題に対して共通の認識を持ち、偽りない客観的データをもとに、自国の利益のみに走ることなく共同して問題の解決に当たることが重要であると考える。理想論であり、困難であるかもしれないが、これも国際協力として必要であることには間違いないであろう。


 

 私もこの記事を読むまで中国の汚染が日本に来ていることへの謝罪があるのかと思っていたが、この教授の日本の企業が原因の一つでもあるという言葉にそれもそうだなと思い直した。 私たちの生活には中国製のものが溢れている。企業が中国への投資を減らし始めているとはいえ、中国を抜きに今の生活は成り立たない。安く豊富な労働力が近くにあったので企業が進出するのも当然のことである。 あまりにも私たちが安さや早さを求めるあまりに、企業や中国の工場に環境や人権を無視した労働環境をもたらしているのかもしれない。デフレや景気悪化により安さ至上主義が中国の環境悪化をもたらし、それが日本の環境までも悪くしているというのは皮肉なものだと思った。 公害について危機意識は持っているのだろうが、まだ経済的意識の方が強く、環境に配慮した技術を導入するということにまで行っていないのではないかと思う。公害は日本にも影響があるが当然中国への影響の方が大きい。そこで日本の技術で公害が減少すれば、今の日中関係も少しは改善するのではないか。

 


 越境汚染という言葉はあまりにも私たちの言葉になじみはなく、環境汚染という言葉に注目しがちだが、日本ではとても深刻な問題である。私が越境汚染と言われて一番に思いつくのは黄砂である。高校時代、自転車での登校をしていたが、黄砂で自転車が真黄色になったことがあった。洗濯物を干そうと外に出たとき、祖母に「外に干すの?中国から毒が飛んできているからやめた方がいいよ」と言われたこともあった。また、黄砂の影響が強い時期、ニュースで幼稚園が外で遊ばせるのをやめたという内容を見たこともあった。日本の生活に黄砂はこれほどにも影響し、当たり前のことができなくなっているのである。子どもにとって外で遊ぶことは健康を保つ上でとても大切なことである。遠いようで近い黄砂が飛んでくるのは防ぎようがない。とても身近な問題である。


 

 私は他の国の環境問題についてあまり考えたことがなかった。地球温暖化や大気汚染などの環境問題について考えるとき、日本の暮らしに目を向け、どう改善すべきかを考えてしまう。越境汚染は世界に目を向け、改善策を考えていかなければならない。しかし、私は世界各国の暮らしの改善を全員が考えるのではなく、みんなが自分の国の環境に関心を持ち、自分の国の環境問題は他の国にも影響を及ぼしているという認識で取り組むことがよいと思う。越境汚染のほとんどが大気汚染によるものであるため、まず大気を汚すもの、たとえば車や火力発電などの排気ガスをできるだけ少なくするために、エコカーの選択や交通機関の利用、電気をつけっぱなしにしないといった身近なことへの取り組みを行っていくことが私たちにできることである。私は越境汚染について考えるより先に、自国の環境についてもっと目を向けていくべきだと思う。